1年半ぶりに地元の山口県宇部市に帰省しました。
帰省するたびに、地元の小学校区くらいの範囲をただただ漂流する、というのがルーティーンになっているのですが、その度ごとに風景も変わりますし、私自身が見ようとするものも変わるので、いつも新しい発見があります。
01 実は面白いアノニマスな建築
宇部に建っているほとんどの建築は、誰が設計して建てたかわかりません。
私の祖父の家もそうなのですが、地元の知り合いのおっちゃんに建ててもらった、という話も聞くくらいです。
しかしながら、そうした‘‘アノニマスな建築‘‘をじっくりと見てみると、少し古びていたりディテールがダサかったりするだけで、建物としての形態や構成、色合いは結構面白かったりします。

例えばこの建物は、私が小学生の時から建っている誰かの住宅ですが、3層目のつくりの軽やかさ、屋根を支える構造の幾何学や手すりの高さ寸法、建物後方の植栽に覆われたフレームたちに、意匠的な魅力を感じます。
全体的に少しボテッとして見えるプロポーションはもったいなく感じますが、非常に学びの多いデザインを、部分的に見ることができます。
02 私の卒業制作

振り返ってみると、卒業制作の原点もここにあったような気がします。
私の卒業制作のテーマは、地元を漂流する中で見つけたアノニマスな風景を集めることで永代供養墓をつくる、という構想でした。
血縁関係のない死者のための空間、というデザインの根拠が見出しづらいプログラムです。
一方で、私が地元で見つけた風景たちは、誰かの意思をもってつくり出されつつも、強力な意味には縛られていません。
従来の墓は生者の論理でつくられた、意味の強いものばかりですが、一方で、アノニマスな風景が集積することによって強い意味に縛られない美しい建築としての墓が実現するのではないか、と考えていました。

集めた風景を統合していくことには、もちろん、私という一人の強力な恣意性が加わることにはなるのですが、その恣意性が発揮される手前の参照元として、アノニマスな風景たちに何らかの魅力を感じていたように思います。
03 今回集めた風景たち
漂流する中で惹かれた風景たちを少し紹介します。
①風化した壁

赤っぽい色味と緑っぽい色味が複雑なグラデーションを作りながら、壁面を彩っています。そして、樋や手すりの茶色味や奥の木壁とどこか調和しているようにも見えます。
元の素材は普通の波板ポリカだと思いますが、十数年の汚れが見事な色合いを作り出しています。
これを金属板を使って経年変化なしに作るとなると、結構難しいんじゃないかと思います。
②非対称の掲示板

掲示板自体は、木造・白っぽい塗装・掲示面を雨から守る勾配屋根、というシンプルな佇まいです。この掲示板の何でもなさを、左手にある太い緑の柱が、見事に崩しています。
この柱がなければ、掲示板のシンプルさにも目がいかなかったかもしれません。さらに、後ろの電信柱が掲示板の中心からずれていることや、ポスターが右上に一枚だけ張られていること、水色のホースが荒々しく結ばれていることも素晴らしいです。
主役の掲示板が何でもないことによって、枠役の周辺が際立って見えます。
③たくさんの線

都会に比べると建物の高さが高くないので、垂直性の高い物体やそれをつなぐ線たちが、空の風景をつくり出します。
街灯、信号機、線路、電車レール用の柱、何かの配管、電線など、この街を支えるさまざまなインフラが重なり合う風景がとても美しいです。
一つの機能だけではつくり出しづらい、複数の理由がたまたま同じ場所に重なることでできてしまう、街ならではの風景に美しさを感じます。
④遊び場の幾何学

昔からよく遊んでいた公園の遊び場です。三角の舗装の中に、中心合わせの円形の砂場があります。奥には四角い形状のベンチと、段々状の鉄棒が並んでいて、その背景にはモサモサの森が見えます。
いくつかの要素を同時に見ることによって初めて、個々の強い幾何学が私の幼少期の遊びをそつなく支えていたことを知りました。
整然と美しく並べられた幾何学の遊び場たちは、複合的に使われることによって幾何学であることを忘れさせてくれます。
04 漂流しながら考えたこと
街、こんなに小さかったっけ!?と、毎回思います。
単に自分の体が大きくなっただけだと思うのですが、通学路の距離とか、公園の大きさとか、もっと把握しつくせない巨大なものでした。
ただ、いま改めて歩き直してみると、外形の大きさを感じながら歩けるサイズになっていることに気づきます。

通学路には坂道が多く、特に部活終わりの帰り道は45度くらいの傾斜の坂道に見えていたのですが、いま見てみるとほぼ平坦な道に変わっています。
そして、ひょいひょいと坂を上りきってみると、遠くに海が見えました。昔は、遠くにあることも知らなかったのに。
05 私だけが知っている街
あの頃は、大きいかどうかもわからなかった街。
一方で、この塀はあそこに指をかけて上ったとか、この茂みのトンネルを抜けた先に釣りができる池がある、とか、私だけしか知らない街の大きさが昔はありました。
手触りの良い壁とか、足をひっかけられる溝とか、不思議とそういう街のディテールを把握しながら、遊んでいた幼少期を思い出します。

ただの茂みを歩き続けることで、私の足跡が道を作っていくことが好きでした。久しぶりに見てみると、その道はただの茂みに戻っていて、街も大人になったんだなと感じます。
その度ごとに、私と街の距離感が変わります。何度も歩き直すことで再発見される地元の魅力に気付かされた帰省でした。